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ただただひたすらに写真を撮っていたい。写真を撮っていなければならない。写真を撮っている間はそこに存在していても許される気がする。写真を撮らずしてそこに存在している自分にはたして価値はあるのか。客観的に見ずとも写真に依存している。


などと思いつつどうでもよいかなとも思ってしまう。いろいろな人の目で私の写真を見てもらえたのならば十分幸せ。



ときどき味覚がバグるのですが、亜鉛を摂ることくらいしかメンテ方法はないのか!味蕾のアプデはまだか!などと機械のように肉体の不備を書いたところでトラブルシューティングのように解決するわけもなく。人間、心身ともに維持するのが面倒なわりに左右上下にぶん回すのはチョロいな~と支離滅裂なことを考えている今日この頃。


昨今の私といえば心身どちらもクソポンコツ真っ只中だけれど全部自己責任だガハハ!と超絶ポジティブな根暗野郎へと成り果てました。すべてが自己完結している、一番厄介で面倒なタイプ。できれば関わりたくないし私も私に関わりたくないと思う。もし読んでくださっている人がいるのならば、こういった人間にはなりたくない!絶対にならないぞ!という反面教師にしてもらえたらと思います。


私が私でいてはダメで、ここにいてはいけないけれど、写真や音楽、ごく少数の人間に救われている、ので、もうすこしこれらにみじめに縋りながら頑張ってみようと思う。無価値な自分がなにかをのこせるよう、あぐらをかきながら見ている。


人が息絶えていくさまをただひたすらに見ているだけの夢をみた。


その人は実在していた、もうすでに亡くなっている人。私はどうすることも出来ずにただただ眺めているだけ。その人は自らの死期が近いことを知っていて、穏やかに美しく死んでいった。夢のなかでも夢からさめてもこの人にように死ねたらと私は願った。


そういった夢をみたからか穏やかな希死念慮…とまではいかない、「ここにいてはいけない」「生きていてはだめ」という生きていく上であまり良しとされない感情が増強されています。まあ今に始まったわけではないしね、チェッチェッチェそういう日もある。

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